
若人よ
くれぐれも君に同情する
だがわたくしは 君の周囲が悲惨であり 淋しく孤独であることに同情するよりも
もっと、君が温室の花のごとく 今日まで弱々しく育ってきた君の過去の幸福に同情する
若人よ
その逆境を喜べ 枯れる葉は枯らせよ
落ちる花は落とせ しこうして今一度 霜雪と戦って 芽を出し枝をのばし 花を咲かせよ
汝の真価は ただそこからのみ生まれ
汝の光は 苦闘によってのみあらわれる
あえて叱咤す
青年よ
涙の谷底より起ち上がれ
『讃嘆の詩』より
住岡夜晃は一八九三年(明治二十八年)広島に生まれ、一九四九年(昭和二十四年)広島で死去した。その五十四年の生涯は求道と教育のために捧げられた一生であった。本願の宗教に対する深い領解と、親鸞教学に対するあつい体解は、その全集におさめられた著作の中に、今も脈々と波うち、読むものを感動させずにおかない。
彼は仏教を深く研鑽したが学者とはならなかった。鋭い直観による時代の洞察はあったが単なる思想家ではなかった。彼は終生求道者であった。そして教育者であった。仏教を単なる研究的対象として勉学することはできなかった。みずから仏教によって救われ、仏教によって終生自己を照らされていった。
また人を単なる人として対象的に見ることはできなかった。いかなる人にも自己の内に燃える本願の信の火を伝えようと努めずにはおれなかった。
彼は終生求道者であり、教育者であった。住岡夜晃が今日他の著名な宗教家ほどに世間に知られていないのは、その生涯が中央を遠く離れた広島において送られたためである。
しかしその伝道法は時代の先端をゆく新しいものであった。彼は昭和の初年から受講者には島地大等師編さんの真宗聖典をもたせ、黒板を用いて講義を板書した。
その講演は三部経をはじめ七祖聖教、教行信証、その他大乗起信論などの仏典の克明な講義が主であった。このようなゆき方は、高壇の上からいわゆる説教調の説法をするのが普通であった戦前ではほとんど稀有な方法であったが、おそらく今日においてもなお異色を失わないものであろう。
彼ははじめ小学校の教師であった。寺院の出身ではなく、一介の在家者であった。後に宗教運動のため教職を追われ宗教家として立つにいたったが、終生僧籍をもたなかった。そのためきびしい圧迫を生涯受け続けたが、しかし彼は決してそれに反発せず、対立せず、また妥協しなかった。
彼は西陬の地において黙々として求道し勉学し、悩む人の友となり、苦しむ人の兄となった。その記録が住岡夜晃全集二十巻である。この全集は彼が生前印刷物として刊行したものを、年代順に集録したものである。
(『真宗人名辞典』法蔵館)

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